テレビジョンと強制力

テレビには強制力がある.テレビはリアルタイム配信ゆえ,必ずその時間帯に見なければならないという強い制約があるからである.これがアニメやドラマの視聴をする上では強いモチベーションにつながっている気がする.というのも大半の人はながら観,流し見という行為に慣れきっているからだ.自分のようにリアルタイムで視聴する環境がない場合,というか,リアルタイムで見るのがしんどいタイプの人間は,録画だったりバンダイチャンネルだったりと言ったものから見ていくわけだが,これが意外に面倒くさい.つまりテレビを見るだけなら時間帯にテレビのボタンを入れるだけで済むワンステップの行為が,Webの配信を視聴するとなると,サイトにアクセスし,作品選びからはじめて,再生ボタンを押し,フルスクリーンに拡大するという作業が発生するわけで,この作品選びという工程が地味に多大な認知的負荷を呼んでいると思う.というわけで,アニメを見るのは結構自分にとって苦痛だったりする.

だから最近は作品を決め打ちすることで作品を選ぶコストを削減しようとしているが,ただし自分はどうもながら観というのが苦手らしく,どうしても画面に没入しないと作品を見ることができないようである. 画面に没入するというのは意外に集中力を要する作業だし,はっきり言ってたかだかアニメごときに集中力を注ぐのは疲れる.ニートになって,いろいろなテレビ番組(主に海外ドラマ)などを見ていたせいで,作品に対する目が中途半端に肥えてしまったこともあり,なかなかアニメ視聴がはかどらない,という現象に遭遇する頻度が増えた.

これはなにもアニメに限った話でもないと思う.例えば音楽だってそうだ.昔は限られた物理媒体のなかから選ぶわけで,そこの部分の選択にまつわるコストというのは限りなく低かった.だが今はどうだろう.数多ある音楽のなかから,自分の好みを見つけ出し,その中で最良のものを聴き続けた結果,「聴ける」作品の範囲というのはますます狭まっていくばかりではないのか.最良,最善,一番良いもの,中途半端ではなく,卓越したもの,そういったものへの際限なき欲求が自分の中にあるのを感じる.媒体の変化は,単にその販売形態を変化させただけではなく,私達の消費スタイルそのものを変化させた.そうした最善へのこだわりというのが,今の社会を蝕んでいるように筆者は思えてならない. 目の前に大量のコンテンツが転がっているのに,それを自分の目が勝手にフィルタリングしてしまう.これは不幸なことなのか,あるいは幸せなことなのだろうか.いろいろな疑問が頭に浮かんできてしまう.