それでも町は金持ちのために廻っている

考えてみれば当たり前の話だ。金のない人間に施しをするための場所じゃない。自分、比較的繁華街の近くに住んでいるので人恋しさに街に出かけたりするのだけど金がないと何も楽しくないというか、もはや一か所に停止することすら許されないということを強く感じている。なんか自分はただじっと人通り見てたいみたいな気分があるけど、そういう願望は町では通じない、カフェでも入らないとじっとさせてくれないし、社会、もっとベンチとかおいておいてほしい。意地悪なのでは、とすら思う。

というか、比較的ニート、というか、一般人巻き込んでみんな、ホームレスのせいでぞんざいな扱いを受けていると感じていて、ベンチとかそういう公共の福祉的なものがホームレスに乗っ取られるせいで、わけのわからない寝そべり防止用の仕切りが存在したりするの、控えめに言ってキレそうだし、キレそう。で、みんな基本的に金を持っていて、それでカフェにいくなりなんなりで解決できるのであまり意識しないけど、自分みたいな無職はどうなるのか。みたいなことです。金のかからない娯楽を都市部で提供するのはなんだかなんだいって難しいと思うので、やはりニートするなら田舎のほうがいいのではないか。田んぼとか畑とか、フィールドが整っている。田舎に対する願望がある。

ただ消費するだけの娯楽ではなくて、一定時間の拘束があって、日々進捗が出て、達成感を得られるみたいなものが娯楽として欲しい。ニートをしていると、時間を拘束される経験が極端に減る。当然時間が裁量性となると、結果を出すのも自分の裁量如何になってしまう。なんかもっとこう、自動的に「その行為」自体をやるだけで最終的に実態を伴った結果が得られるものがほしい、みたいなところを突き詰めていくと、農家ってかなり近いものなんでは、という念が頭に浮かんでくる。都会でそういうことに近いのって、手っ取り早い代替としてはゲームなんだと思う。金持ちにはもっといろいろな手段が提供されている。というか、金を稼ぐという行為自体が「その行為」なのかもしれない。そこに違和感を感じてしまった時点で社会の外側にはじき出された今、やるならゲームか農業か、という事態が展開してしまった。